「わあ、とってもお似合いですよ」

 パソコン画面には、新たなウェディングドレスに身を包んだ美咲さんの姿が映し出されている。今度のドレスはAラインのオフホワイトで、トレーンがふんわりと優雅な印象だ。サテン生地にレースがふんだんにあしらわれていて、わたしも好きなタイプだった。スタイルのいい美咲さんにはピッタリで、そのままパンフレットのモデルを頼みたいくらいだ。
『ねえ、乾さんはさっきのとどっちが好きですか?』

 画面にどんどん美咲さんの顔が近づいてくるので、思わず目線を逸らして逃げてしまった。クビの操作はもうお手のもので、すっかり自分の一部のように手元で遠隔操作ができるようになっている。上向きになったクビを覗き込むようにして、美咲さんが楽しそうに笑う。
『逃げなくてもいいのに』

 後ろでなにやら小さなざわつきが聴こえたので、そちらのほうを向く。見ると、急に動いた美咲さんの背後で、ドレスのトレーンを必死に捌いている衣装スタッフの姿。どうやら大事には至らなかったらしい。あまりの慌てっぷりに、思わずちょっと吹いてしまった。
『ね、乾さん、どう思います?』

 距離感を取り戻してくれた美咲さんが、ウキウキ声でまた尋ねてくる。わたしは思わず「うーん」と唸りながら、クビの見る景色を斜めに傾けてみせた。こうすると、本当にわたしが首を傾げているように見えるらしい。
「それはご夫婦で話し合われることではないですか? わたしなんかがお答えしても」
『乾さんの意見が聞きたいんです。あくまでも、参考までに!』

 画面越しにでも伝わる、美咲さんのキラキラした幸せオーラ。それを作り出している張本人はお相手の俊晴さんに違いないのに、肝心の彼はドレスルームに入ってから空気になっている。しかもなぜか、張り付くようにわたしの隣。実際は、クビ本体を置いているテーブルの脇に突っ立っている状態だ。困惑して見上げると、動作音で気づいたのか、俊晴さんはクビを見下ろして欧米人よろしく肩をすくめてみせた。彼なりのゴーサインらしい。
「……そうですね。いまのドレスもお綺麗ですけど……さっきのプリンセスラインのドレスのほうが、花江様のかわいらしさが際立ってわたしは好きです。細身だから余計にボリュームが引き立つというか。ヘアメイクもあわせたら、きっと本当のお姫様みたいになりそう」
『褒めまくりですね、乾さん』

 ボソッと隣でつぶやく新郎の声が、辛うじて拾えた。顔を見なくても笑っているのがわかる声音。同意見として捉えていいのだろうか。

 ドレス姿の花嫁は、パっと顔を輝かせて照れ照れしているものの、喜びが声になっていない。
「……花江様?」
『ああ、ごめんなさい黙っちゃって。決めた。やっぱりさっきのプリンセスラインにします。お姫様になりたいから』

 そう言ってにっこりと微笑む美咲さんを認め、クビを回転させて俊晴さんを改めて見上げる。愛おしそうに花嫁を見守る姿がしっかりと映って、安心した。おふたりの気持ちはきちんと向き合っている。こんな状態のわたしが担当でも、投げずに変わらずにいてくれる。それが嬉しかった。このおふたりを幸せな新郎新婦にしたい。改めて胸に刻む。
『それでは細かい調整をしますので、もう一度あちらのドレスを試着していただけますか』
『はーい』

 衣装スタッフに声を掛けられ、美咲さんは新郎とわたしに律儀に小さく手を振って、試着室へと戻っていく。彼女のトレーンまでもが扉の向こう側に消えてしまってから、「乾さん」と声を掛けられた。クビを向けると、俊晴さんが薄く微笑んで屈みこんでくる。
『確認なんですけど』
「はい、なんでしょう」

 わたしとふたりきりになる機会を窺って、それでずっと傍に張り付いていたのだな、とこのときようやく気づいた。いまはスタッフも美咲さんについていっているので、この部屋にはほかに誰も残っていない。それでも声を潜めている。
『式の当日は退院されてますか?』
「え、わたしのことですか」
『はい』
「……ギリギリ、無理そうなんです。でも大丈夫です、きちんと式も披露宴も、裏で見守りたいと思っていますので」
『これで?』
「はい」
『……そうですか。それなら安心しました』

 ニッと照れたように笑って、俊晴さんはドレスの並んだ部屋を見渡すように視線を投げた。
『結婚式とか、正直よくわからなくて』
「……はい?」
『ぶっちゃけ興味なかったんですよ、俺。でも、最初の打ち合わせのとき、乾さんが聞きだしてくれたじゃないですか、美咲の夢』

 花嫁さんになりたい。ありきたりで幼稚園児みたいですよね、と美咲さんは自嘲気味に笑っていたっけ。それでも、わたしが同じきっかけでウェディングプランナーを目指したのだと打ち明けると、目をキラキラ輝かせて喜んでくれたのだ。
『きっと俺には話せなかったんですよ、笑われると思ったのかな』
「そんなことないと思いますけど」
『真面目に聞かない可能性は高かったかも。ここで聞けてよかったし、それに』

 不自然なところで言葉を切って、俊晴さんは再びわたしを見た。クビをとおして、お互いの目を見る。
『不謹慎だってわかってるんですけど。乾さんが事故ってもう担当できないって言われたとき、あいつ本気で落ち込んでて。たぶんいつの間にか同志みたいに思ってたのかなって。それ、乾さんがこんなことにならなければ気づかなかったんですよね、俺。鈍いんで。どれだけ美咲がこの結婚式に夢を託してたかなんて、全然わかってなかったんですよ。あのときまでね。だから、結果的にはよかったのかなって』
「怪我したことがですか?」
『そう』
「あんまりですね、それ」

 どちらからともなく笑いが漏れる。本当に、そんなのあんまりだ。でも、こうして変わりなく仕事をさせてもらえているのは奇跡に近い。もしもあのままわたしが担当を外れていたら、いまのこのおふたりの笑顔はなかったかもしれない。そう思うと胸がギュッとなる。そしてじわじわと緊張感に包まれてゆく。絶対に、絶対にこの式を成功させたい。この笑顔がこの先曇るも曇らないも、結婚式という門出の日に懸かっているのだ。それだけ、ウェディングというのは重大な通過ポイント。そして、プランナーとしてのわたしにとっても、大切な最初の儀式となる。
『リハビリ、頑張って下さいね』

 美咲さんが戻ってくる直前、俊晴さんがボソッと落として離れていった。
「はい。ありがとうございます」

 わたしが美咲さんの原動力ならば、花江夫妻もわたしの原動力だ。こうしてクビをとおして担当を続けていられるからこそ、パソコンを閉じてしんとした部屋を自覚したあとにも、腐らずに自分を保っていられる。本当は挫けそうになる孤独なリハビリにも耐えられる。この時間があるからこそ。