三日後、天井を見つめてぼんやりとシミを探していたわたしの元に、新田さんが絵に描いたような果物セットを持参して訪れた。「これ、お見舞い」と無造作にサイドテーブルに置く。わたしが慣れてきたリモコン操作でベッドの枕元を起こして礼を言うと、彼女は「あとで食べさせてあげる」とうなずきながら笑う。その笑みがいつもより開放されているような気がして、ふと胸にざわつきが起きた。
「新田さん、買い物帰りですか? なんかやたら荷物ありますね。果物わざわざ買ってきてくれなくてもよかったのに。大変だったでしょ」
「動けなくて大変な人が気を遣わない。ここはあなたが気遣われる場所。それに、これ全部お見舞いだから」
「……え?」
「まず、これね」
じゃん、と効果音を付けながら取り出されたのは、小さな紙袋。有名な洋菓子店のロゴが入っている。渡されるまま受け取ると、中身はきれいにラッピングされたマカロンのセットだった。
「……これ、新田さん?」
「わたしがマカロンなんてかわいいもの選ぶわけないって思ってるでしょう。まあ、正解よ。これは花江夫妻から」
「え」
「昨日電話があってね。あなたのこと説明したら、今朝わざわざ持ってきてくださったの。俊(とし)晴(はる)さんのほうはお仕事らしくて、美咲さんのほうだけね」
どう説明して、なんと応えが返ってきたのだろうか。じっとマカロンの箱を見つめるわたしに先回りして回答をくれると思ったけれど、先輩はさっさと次の荷物を物色し始めた。
「お次。これね」
旅行に行くのかと見紛うばかりにパンパンに膨れ上がった大きなトートバッグの中から、厚さの異なるファイルをボンボンと出しては、備え付けのテーブルに無造作に置いていく。その数、五冊。そのなかの一冊には見覚えがあった。透明ピンクの地に、見分けやすいようにバラのイラストのシールを貼り付けたファイル。
「それ、わたしの」
「全部あなたの」
「……え?」
「今回必要だと思う書類は全部ファイリングしてきた。あと足らなかったら言って。向こうで対応するから」
ハキハキと滞りなく喋る新田さんの言っていることが理解できない。
「え、新田さん?」
「あ、これね、あなたのデスクから拝借してきた。これに全部まとめてあるの? ほかに隠してたら言って。持ってくるし」
「あ、あの新田さん?」
「書面は心配しないで、向こうにわたしがつくから。サポートは万全よ」
「新田さん」
強く押し切るように名を呼ぶと、ようやく彼女は口を噤んでわたしを見た。それから間を持たせるようにじっと目を覗き込んでくる。口角が次第に上がっていくのが、おもしろいくらいによくわかった。
「分身の術よ。乾さん」
「……は」
「分身の術」
ウキウキといった形容が相応しい新田さんの声。そんな彼女を見るのは実に珍しいことだ。感情の起伏を上手に隠す人だから、あの日震える口許を見ただけでもそれはそれは衝撃的だったのに。
「最後は、これね」
ポケッと見守るしかないわたしをチラッと楽しそうに見遣ってから、彼女はトートバッグの中に手を突っ込んだ。引き抜くと、簡素なパッケージの箱が現れる。続いて出てきたのは、タブレット端末二台。B5サイズのノートパソコンも。
「どれだけ入れてきたんですか」
果物かごも合わせた総重量はいくらになるのだろう。そんなどうでもいいことを考えて呆れてしまった。明日肩こりで動けなくなったりしないだろうか。
「全部今日持ってきたかったからさ」
新田さんは少し照れくさそうな顔をして、小さな声で言い訳した。それから、やけに大仰な動作で箱を開けてみせる。まるで誕生日かクリスマスのプレゼントかのように、ワクワクが胸を占めた。
「これ。見て」
中に入っていたのは、ウサギ型の小型ロボットのようなものだった。パッと見かわいいけれど、なにに使うものなのかまったく想像できない。
「……なんですか、これ」
「クビ」
「え?」
「ク・ビ」
「なんですか、それ」
「見てて」
ちんぷんかんぷんなわたしに得意げに胸を反らすと、新田さんはテーブルの書類をまとめてサイドボードに移動し、「クビ」と呼ばれたそれをテーブルの真ん中にドンと持ってきた。下の部分に円盤状のものを接続して、固定して縦に置く。
「……円盤に乗ったウサギ」
「確かに似てるね。その発想はなかった」
真面目に感心したようにつぶやきながら、今度はテキパキとタブレットを起動させたり、パソコンを起動したりと手が常に動いている。と、「クビ」の耳のような部分を唐突にガッと左右に押し広げると、そこにタブレットを載せて固定させた。まさしく、「クビ」がタブレットの「首」と化している。
「この本体をチャペルの相談フロアに置くの。そして、あなたはこっちから向こうを見るわけね」
起動したパソコンには、先輩の顔が映し出されている。クビに取り付けられたタブレットは、まさしく彼女のほうを正面きって見据えていた。
「これで操作すると、ほら。首が動いてどこにでも顔を向けられちゃうわけ」
手渡されたタブレットの画面を操作してみると、そのとおりに天井のほうを見上げてみたり、ベッドの足元を眺めてみたり、ドアのほうを見遣ったり、自在にクビが動く。その視線に合わせて、パソコン画面も同じほうを映してくれている。まさに目だ。
「すごいですね。なんですかこれ」
「遠隔操作ロボットだって。あなたの代理。分身の術。これで病院に居ながらにして打ち合わせができちゃうのですよ、乾さん」
冗談めかして言うので、瞬時には理解できなかった。
「……え。それって」
喉がカラカラに渇く。言葉がとっさに出てこない。目を見開いて見つめる先、新田さんのいつもの微笑がまた、少し歪んで見えた。
「新し物好きな城崎さんが隠し持ってたアイテム。あなたのこと交渉したらね、だったらいいのがあるよって出してきてくれた。これ使って担当続行していいって許可も貰ってきたよ。もちろん現場でのフォローはわたしが責任を持ってします」
「新田さん……」
「美咲さんがね、どうしてもあなたにお願いしたかったって。あなたを見てると自分とシンクロするから他人とは思えないんですって。なんのことかよくわからないけど、そこまで思ってもらえるのって光栄なことよ。城崎さん、それもあってオッケー出してくれたの。さあ、どうする? やる? やらない?」
職場に居るみたいに快活な物言いで、新田さんはニヤッと笑った。こみ上げる波を押さえつけるようにして息を吐くと、わたしはできるだけ先輩に似せた笑顔を作って答える。
「やります。やらせてください!」
言った瞬間にタブレットに触れてしまい、クビが勢いよくお辞儀をした。予期していなかった出来事に驚いて固まったあと、ふたりで顔を見合わせて笑う。気分が高揚していくのを止められない。動けないわたしにできた相棒のお茶目な一面が、凍りついていた心を優しく溶かしてくれる。